「ほめれば伸びる」は、どこか温かい響きを持ちます。
でも、褒められなければ動けない大人が増えている今、それは本当に“教育”だったのでしょうか?
アドラー心理学は、ほめることも叱ることも、どちらも“支配”として機能し、人を問題行動へ追い込む装置になると説明します。
この第二部では、賞罰を否定するのではなく、
「なぜそれが人を不幸へ導いてしまうのか」
その心理構造を明らかにしていきます。
教室は民主主義国家である
アドラーは「教育の根底には“対等性”がなければならない」と語ります。
その象徴的な言葉がこちらです。
「教室とは民主主義が機能する“国家”であり、教師はその国家を導く“為政者”である」
なぜ“民主主義”なのか。
それは教育とは「支配」ではなく「自治の学習」だからです。
しかし、もしそこに“上下関係”が固定された瞬間、
教室は民主主義ではなく「独裁国家」へと変質します。
哲人は次のように指摘します。
「独裁者の率いる組織は腐敗を免れません。そしてその根拠ははっきりしています。あなたがその必要性をしきりに訴えている『賞罰』です」
この時点で既に「叱る」も「ほめる」も同じ土台にある、と示唆されています。
どちらも“上位者からの評価”であり、
「対等」ではなく「支配構造」。
褒められることを“エサ”にして行動する子どもは、
「自分のために行動する」のではなく
「評価のために行動する」ようになります。
叱ってはいけない、ほめてもいけない
アドラーが言う「叱ってはいけない」はよく知られていますが、
実はそれと同列で「ほめてもいけない」と語っています。
ここにあるのは“ほめる=善行”という常識の覆しです。
「子供は、ただ『知らない』のです。命の価値を、そして他者の痛みを。」
つまり誤りを犯したとき、それは未熟さや無知の表れであり、
必要なのは叱責ではなく「教えること」です。
しかし“ほめる”も同時に問題なのはなぜか。
それが【評価を与える者/与えられる者】という縦構造を固定するから。
ほめられなければ行動できない人間は、
やがて“誰かの承認がないと自分で立てない人”になります。
そしてこの賞罰構造が内面化された結果として起こるのが、
「問題行動の五段階」です。
問題行動の「目的」はどこにあるか
第1段階:賞賛の要求
最初の目的は単純です。
「ほめてほしい」。
ここではまだ、“承認”が行動の燃料になっています。
「彼らの目的は、あくまでも『ほめてもらうこと』であり、さらに言えば『共同体のなかで特権的な地位を得ること』なのです」
自分の価値基準は「他人の評価」。
ここから“賞罰依存”が芽生え始めます。
第2段階:注目喚起
賞賛がもらえないと、次は「叱られてでもいいから注目されたい」へと変わります。
目的は依然として “所属の獲得” です。
・空気を乱す
・わざと問題を起こす
・悪目立ちする
これらは「悪」ではなく、「見捨てられまいとする行動」です。
ここまでの段階では、まだ行動の根底に
「つながりたい」という願いが残っています。
しかし、この「願い」が満たされず、糸がぷつりと切れた瞬間に、
人の心理は別の方向──“つながること” ではなく “支配すること”
へとねじれていきます。
このねじれこそが、第3段階・第4段階・第5段階へと人を押し流し、
やがて “復讐” や “無能の証明” といった破滅的行動へつながっていくのです。
第3段階:権力争い
注目を得ることでも“所属感”が満たされないと、
(書籍の中では教育者という立場のため)子どもは次の目的へと進みます。それが 「権力争い」 です。
ここで大人が目にするのは「反抗」や「対立」。
しかしアドラー心理学の視点では、表面的な反発の裏にはこうしたメッセージが存在します。
「あなたの支配には屈しない。私は“下の立場”ではない」
つまり、“従順な子ども”という役割を拒否し、
「対等な存在として見ろ」という訴えなのです。
この段階ではまだ「つながりたい気持ち」は残っています。
ただ、それが“従属ではない形”で求められている、というだけです。
しかし問題は、大人側がこの心理の訴えを理解できず、
- 「逆らうな」
- 「黙って従え」
- 「言うことを聞かせなければ」
と上下関係をさらに強化してしまった場合です。
ここで大人が“勝ちにいく”ほど、
子どもは「支配される側」に押し戻されたと感じ、
次の段階──“復讐” へと進んでしまいます。
第4段階:復讐
ここから問題行動は、単なる反抗や反発の域を超えます。
目的は「注目」でもなく「対等性の主張」でもありません。
この段階での本質的な目的は──
「傷つけられた痛みを、傷つけ返すことで伝えること」
です。
「わたしを憎んでくれ! 見捨ててくれ!」
この言葉は一見、拒絶のように見えます。
しかし、実態は「憎まれる形ででも“つながり”を維持しようとする」ゆがんだSOSです。
ここから行動は次のように変質していきます。
| 心理 | 行動 |
|---|---|
| つながりたい | 過剰な依存、情緒的支配 |
| 見捨てられたくない | 監視・束縛・過干渉 |
| 届いていない苦痛 | 言葉の暴力、威嚇、嫌がらせ |
そして、この段階が恐ろしいのは、
“相手の人生を縛ることでしか存在を確認できなくなる” からです。
→ ストーカー行動がここで発生する心理的理由
復讐段階が進むと、人は「嫌悪されてもいい」「憎まれてもいい」と考え始めます。
なぜなら、“好意”や“共感”が届かないのであれば、
「恐怖でも憎悪でもいい、心を占拠できればいい」
と目的がねじれてしまうからです。
ここには、すでに論理や倫理はありません。
「所属喪失の恐怖」が、「支配によるつながり」へと変形するのです。
その結果として起こり得るもの:
- しつこい連絡・監視・尾行
- SNS上での粘着
- 相手の人間関係を壊す
- 評判や信用を攻撃する
- 職場や家族へ干渉
そして、さらに段階が深まると、
「あなたを失うくらいなら破壊する」
という極端な“巻き込み型の支配”へと到達します。
ここまで来ると、現実世界では
ストーカー事件・激情犯罪・道連れ型の加害
にすら発展します。
つまり復讐段階とは、
怒りではなく、“壊れた所属欲求”の末路
なのです。
第5段階:無能の証明
復讐しても誰にも届かないとき、人は次の結論に至ります。
「もう誰からも理解されない。
だから“できない人間”を演じることで、自分を守るしかない」
・わざと失敗を繰り返す
・努力しない
・そもそも挑戦しない
・希望を持たない
他者を壊すのが第4段階なら、
第5段階は “自分の未来を壊す” 段階です。
外的破壊(復讐)
↓
内的破壊(無能の証明)
ここで人生は静かに停止します。
「無能だから仕方ない」
「やらないほうが傷つかない」
──痛みを避けるための“自己麻痺”です。
罰があれば、罪はなくなるのか
この五段階を踏まえると「罰で人を止められる」という考えがいかに幻想かわかります。
青年はこう反論します。
「罰とは、罪に対する唯一の抑止力なのです」
しかし哲人は違います。
罰は“抑止”ではなく、“依存の固定化”です。
なぜなら、復讐段階の心理にとって
「叱られることすら、存在の確認」だから。
むしろ罰は
壊れた所属感をさらに強化し、
問題行動の“燃料”にすらなります。
暴力という名のコミュニケーション
復讐の段階で「相手の心を拘束」しようとする動きが限界までいくと、
言葉・支配・干渉でも足りなくなり、
ついには 「暴力」 という最終手段が選ばれることがあります。
ここで重要なのは、
アドラーが暴力を「制御不能の衝動」ではなく
“失われた対話の代替物” と捉えていることです。
「あなたのやるべきことは、彼らの『目的』に注目し、『これからどうするか』を共に考えることなのです。」
暴力とは“最後の発信”。
もう伝える手段が残っていないという絶望の《結果》です。
だから大人が「暴力だけを止めよう」としても何も解決しません。
本当に止めるべきは、暴力以前に失われた“所属感”なのです。
怒ることと叱ることは同義である
指導と叱責を分けるべきだ、という声はよく聞かれます。
しかしアドラーはここでも一刀両断します。
「叱ることは、いわば実弾の装填されていない空砲を向けること」
銃口を向けられたという事実は、空砲でも変わりません。
「怒る/叱る」は“裁き”の表現
であって、教育ではない。
だから哲人はこう続けます。
「裁判官の立場を放棄せよ」
(書籍の中では教育者という立場のため)子どもを裁くのが大人の役割ではない。
導くのでも服従させるのでもない。
“対等な一人の共同体成員として尊重すること”
こそ教育です。
自分の人生は、自分で選ぶことができる
アドラー心理学が伝えたいのは「賞罰のダメ出し」ではありません。
本当の核心はここです。
「人は、自分の人生を自らの力で選べる」
しかし、その選択の勇気は
“信じられなかった人間”からは生まれません。
「理解が欠けているのではない。他者の支持を仰がないと自分の理性を使う決意も勇気も持てないからだ。」
だから教育者や親の役割は、
評価ではなく「信頼の土台」を渡すこと。
まとめ
賞罰は「正しい行動」を作っているようで、
実は「依存」と「支配」を育てます。
問題行動の五段階とは、
“良い悪い”の評価ではなく
**「居場所を失った心の旅路」**です。
第4段階の復讐が恐ろしいのは、
人格が壊れているからではなく、
「愛された記憶を失った心が最終形態までねじれた姿」
だから。
無能の証明は怠惰ではなく、
もうこれ以上傷つきたくない心の自己防衛。
人は、褒められて伸びるのではなく──
信じられて立ち上がる。
そして信じられた経験を持つ人だけが、
「自分の人生を自分で選ぶ」という
大人のスタートラインに立てるのだと思います。
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