嫌われる勇気 | 第二夜 「すべての悩みは対人関係」要約

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はじめに

「人はなぜ悩むのか」──
その根本的な問いに対し、アドラー心理学は驚くほど明快な答えを示します。

それがこの章の核心、
「すべての悩みは対人関係の悩みである」 という一節です。

『嫌われる勇気』第二夜では、哲人と青年がこのテーマを軸に、
「劣等感」「承認欲求」「競争」「人生のタスク」について深く語り合います。
この章を読み解くことで、私たちは“他人の目から自由になる方法”を知ることができます。

僕自身も、他人との比較で落ち込み、孤独を感じてきた経験があります。
だからこそ、この第二夜はまるで自分に語りかけられているように感じました。

なぜ自分のことが嫌いなのか

青年は言います。
「自分のことが嫌いなんです。自分には価値がない気がして……」

これに対して哲人はこう答えます。
「あなたが嫌っているのは、“他人と比べた自分”なのではありませんか?」

アドラーによれば、人は他者との比較によって自分を評価し、自らを貶めます。
容姿、学歴、収入、人気──あらゆる尺度を“他人”のものさしで測るのです。

それは、他人の人生を生きているのと同じこと。
自分を嫌うのではなく、“他人の基準で生きる”ことに苦しんでいるのです。

僕の知人にも「自分の顔が嫌いで写真をすべて捨てた」という人がいました。
彼もまた、他人の評価を内面化して、自分を否定していたのかもしれません。

アドラーは言います。
「他人の期待を満たすために生きるのではなく、自分の人生の目的を生きなさい」と。

すべての悩みは「対人関係の悩み」である

哲人は断言します。
「すべての悩みは、対人関係の悩みである。」

この言葉に、青年は驚きます。
「そんなことはない。たとえば“お金の悩み”や“病気の悩み”は、人と関係ないではないか」と。

しかし哲人は静かに返します。
「お金の悩みとは、誰かと比べて“足りない”と感じる心から生まれるものです。
病気の悩みも、“他人に迷惑をかける”“他人に劣る”という意識から来るものなのです。」

どんな悩みも、最終的には“他人との関係”が関わっています。
人間は社会的存在であり、他者とのつながりなしには生きられない。
だからこそ、すべての悩みの本質は「対人関係」なのです。

僕自身も、大都会の中で孤独を感じたことがあります。
でも田舎に帰ると、人口は少なくても人の温かさがある。
孤独とは「人がいないこと」ではなく「つながりを感じられないこと」なのだと思います。

劣等感は、主観的な思い込み

アドラー心理学において「劣等感」は決して悪ではありません。
それは「より良くなりたい」という向上心の源でもあるからです。

ただし問題は、それを“事実”と混同してしまうこと。
「自分はダメだ」と思うのは、主観的な思い込みにすぎません。

哲人は言います。
「他人と比べて劣っていると思うのは、あなたの解釈です。
劣等感そのものは悪ではなく、どう使うかが問題なのです。」

つまり、劣等感を「行動の原動力」に変える人は成長し、
「言い訳」に変える人は停滞します。

この違いが、人生の明暗を分けるのです。

言い訳としての劣等コンプレックス

哲人は、劣等感が「コンプレックス」に変わると危険だと指摘します。
それは「自分が行動しない理由を正当化する心理」です。

「学歴がないから成功できない」
「年齢が高いからもう遅い」
「才能がないから努力しても無駄」

これらの言葉は、実際には“できない”のではなく“やらない”ための理由です。

アドラーは言います。
「人は、変わらないことを“選んでいる”のです。」

僕も過去に「環境が悪い」と言い訳して行動を止めていた時期がありました。
けれど結局、環境を変えるのは自分自身しかいませんでした。

行動できない理由を探すより「どうやったら出来るか」行動できる方法を考える。
それが“劣等感を味方にする生き方”です。

自慢する人は、劣等感を感じている

哲人はさらに、「自慢とは劣等感の裏返し」だと語ります。

自慢をする人は、自分の価値を他人に認めさせたい人。
それは「自分に自信がない」ことの証拠でもあります。

本当に自信がある人は、他人の評価を必要としません。
彼らは、他人の目ではなく“自分の目的”で行動しています。

僕もSNSを見て焦ることがありますが、
それは「他人を羨む自分」と「他人に見せたい自分」のせめぎ合いです。
劣等感を否定するのではなく、“認めて乗り越える勇気”が必要なんですね。

人生は他者との競争ではない

青年は問います。
「でも、努力するためには他人と競うことも必要では?」

哲人は首を振ります。
「競争は、他人を敵とする生き方です。
他人との競争の中に生きる限り、あなたは永遠に不安から逃れられません。」

アドラーは、人生の目的を「他者との競争」ではなく「他者への貢献」と定義します。
つまり、“勝つこと”ではなく“役に立つこと”こそが幸福の源なのです。

分かっていても、比べてしまう自分がいます。
けれど最近は「昨日の自分に勝つ」ことを目標にしています。
比べる対象を“他人”から“過去の自分”に変えるだけで、心は驚くほど軽くなりました。

「お前の顔を気にしているのはお前だけ」

この章の中で、哲人は次のような印象的なエピソードを紹介します。

私の若い友人が少年時代、長いこと鏡の前で髪を整えていたそうです。
すると、彼の祖母がこう言いました。
お前の顔を気にしているのは、お前だけだよ

この短い一言が、アドラー心理学の核心を突いています。
私たちはつい「他人がどう思うか」「どう見られているか」を気にして生きています。
しかし実際には、他人は自分が思うほど私たちを見ていません。

誰かにどう見られるかを気にすることは、
「他人の人生」を生きているのと同じこと。
他人の視線に縛られるほど、自由は遠ざかっていきます。

電車の中で鏡を見ながら前髪を直している人を見かけると、
「そんなに人は見てないよ」と心の中で呟いてしまいます。

勿論、最低限の清潔感は重要だと思います。

アドラーは言います。
「他人の評価を気にするのではなく、自分の信じる生き方を選びなさい。」
自由とは、他人の期待を手放す勇気なのです。

権力争いから復讐へ

アドラーは、人間関係の衝突を「権力争い」と呼びます。
相手を支配したい、言うことを聞かせたい──そうした欲求が争いを生み出します。

そして、この争いに負けた側が「復讐」へと進むのです。
それは“勝ち負け”という土俵に立ち続ける生き方。

大声で命令してくる人を見ると「勝ち負けの世界」に生きているんだなと思います。
僕自身も「勝ち負けから降りる習慣」を意識したいです。

哲人は言います。
「争いを終わらせる唯一の方法は、争わないことだ。」

非を認めることは「負け」じゃない

「間違いを認める=敗北」ではありません。
アドラーは「非を認めることは成長の証」だと説きます。

謝ることは、相手に屈することではなく、自分の誠実さを示す行為。
プライドよりも“関係を大切にする姿勢”が、真の強さを生みます。

直面する「人生のタスク」をどう乗り越えるか

アドラーは人生を三つの「タスク(課題)」に分けます。

  1. 仕事のタスク:社会への貢献
  2. 交友のタスク:信頼と尊敬の関係
  3. 愛のタスク:相互理解と責任の共有

これらはすべて“対人関係”に関わっています。
そして、それらを避けることは“人生から逃げる”ことでもあります。

僕もこの「タスク」の概念は深く響きました。
誰と、どんな距離感で関わるか──それが幸福の本質なんですね。

赤い糸と頑強な鎖

アドラーは「愛」を“絆”ではなく、“自由な関係”として定義します。
依存や束縛に基づく愛は、もはや“愛”ではなく“支配”です。

本当の愛とは、相手を自由にし、自分も自由でいられること。
信頼と尊敬の上に成り立つ関係だけが、長く続く絆になります。

「人生の嘘」から目を逸らすな

哲人は言います。
「人生の嘘とは、変わらない理由を作り出すことだ。」

「親が悪い」「環境が悪い」「才能がない」──
こうした言葉は、現状維持のための“言い訳”です。

アドラーは断言します。
「人はいつでも変われる。だが、変わらないことを“選んでいる”のだ。」

僕も、友達との会話で気づくことがあります。
他人の話を聞くことで、自分の“思い込み”が壊れていく感覚があるのです。

所有の心理学から使用の心理学へ

アドラーは「所有」ではなく「使用」に価値を見出しました。
どれだけお金や知識を“持っていても”、使わなければ意味がない。

「愛されたい」ではなく「愛する」、
「理解されたい」ではなく「理解する」。
“求める人生”から“与える人生”へ。

これが「使用の心理学」です。
所有の世界から抜け出すと、人生は一気に軽くなります。

まとめ:比べない勇気が、自由を生む

『嫌われる勇気』第二夜は、アドラー心理学の核心を突く章です。
劣等感、承認欲求、競争、愛──
すべてのテーマは「対人関係」という一本の糸で結ばれています。

人は誰かと比べることで悩み、
誰かに認められようとして苦しみます。
でもその比較をやめた瞬間、
人は初めて「自分の人生」を生き始めます。

僕たちは、生まれた時点で奇跡的な存在です。
他人と比べて自分を貶める必要なんて、本当はどこにもないんですよね。

そして、ここにもう一つ僕自身の実感があります。

僕もそうですが、自分を好きになれない人は多いと思います。
結局は、誰かと比べてしまっているのですよね。
けれど、よく考えてみれば──
生まれてくる前、母親の胎内で数億というライバルの中から、卵子に結びついたのは他でもない自分。
その時点で、すでに「選ばれた存在」であり、奇跡そのものなのです。

それなのに僕たちは、いつも他人と比べて「足りない理由」や「不幸の根拠」を探してしまう。
幸福ではない理由を自ら作りながら、
いったい何処に向かっているのだろう」と考えることがあります。

アドラーが語る“幸福”とは、他人に勝つことではなく、他人に貢献し、自分の価値を見出すこと。
比べることをやめたとき、僕たちはようやく“自由”になれるのかもしれません。

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