幸せになる勇気 | 第三部 競争原理から協力原理へ 要約

書籍

〜誰かより優れるより「わたしである」勇気〜

第三部は、
“競争の世界から、協力の世界へ”
そんな大きなテーマです。

でも読んでいて思ったのは、
それは「優しくなりましょう」という話ではなくて、

「もう、無理して戦わなくていいよ」

…そんなメッセージなのだと。

ここからは、僕が心に残ったところです。

「ほめて伸ばす」を否定せよ

「褒める」とは、上下をつくる行為だ

アドラーは
「褒める=いいこと」
という常識をひっくり返します。

「褒めるとは、評価する者とされる者を分ける」

褒められると嬉しい。
でも「評価されることでしか満たされなくなる」怖さもある。

そしてここを読むと、ふと子ども時代を思い出しました。

僕は昔、褒められる家庭ではありませんでした。
叱られたわけでもなく、
ただ、静かな家。

「頑張ったね」
「すごいね」
そんな言葉はあまり飛び交わなかった。

今でははっきり言えます。
僕は寂しかったんですよね。

そして、今振り返ると、
両親、特に父は、僕より「自分の世界」に生きていた人だったと思います。

その時は気づけなかったけど、
あれは“放任”でも“冷たさ”でもなく、
互いが不器用だっただけなのかもしれない。

アドラーは言います。

「人を評価するのではなく、信じるのです」

「あなたがここにいてくれて嬉しい」
それが、褒めるより深い愛なのだと、今は思います。

褒賞が競争を生む

賞やご褒美は分かりやすい動機づけだけど、
気づけば「勝ち負けの世界」に浸かってしまう。

「競争に踏み入った瞬間、人は仲間を失う」

この言葉、少し刺さりました。

僕たちはいつの間にか
「負けたくない」
「置いていかれたくない」
そう思って、方角を競争に向けてしまう。

でも、最近気づいたのは

相手が自分をどう思っているかなんて、本当は分からないし、決められない。

「きっとこう思われてる」
って、全部“自分が作った世界”だったのかもしれない。

勝つためじゃなく、
ただ、自分の速度で歩く。
それでいいんですよね。

人生は「不完全」からはじまる

アドラーは言います。

「人はみな劣等感から出発する」

弱さは欠点ではなく、
人が助け合う理由。

正直これを読むまで、
劣等感の塊なのは自分だけだ
と思っていました。

でも違った。

みんな不完全で、
みんな途中で、
みんな弱さを抱えている。

だからこそ、
支え合う共同体が生まれたんだと思うと、
少しだけ、肩の力が抜けました。

「わたしであること」の勇気

アドラーは言います。

「普通である勇気が足りない人が、特別であろうとする」

この言葉、ちょっとだけ胸が痛かった。
僕も「特別でありたい」と思う瞬間があるから。

でも、本当は

“わたしである”ことに価値がある

違うことより、
選ばれることより、
自分として生きること

それが、強さじゃなく
「安心」をくれるのだと思う。

なぜ人は「救世主」になりたがる

「人を救うことで、自分の価値を証明しようとする者がいる」

僕も昔そんな時期がありました。
「人の役に立たないと、価値がない」と思っていた。

でも本当は、
誰かの人生は、誰かのもの

支配でも救済でもなく、
ただ隣にいられたら、それでいい。

教育とは「交友」である

アドラーは「教育=友として出会うこと」と言います。

「上に立って導くのではなく、横に立って歩く」

それは親子でも、仲間でも同じ。
管理ではなく、信頼。
正しさではなく、尊厳。

この姿勢は、教育だけじゃなく
人間関係ぜんぶに必要なことかもしれません。

おわりに

第三部を読んで、僕はこう思いました。

競争を降りるって、負けることじゃない。
ただ、自分らしい場所に帰るだけ。

優れる必要はなく、
証明する必要もなく、
ただ生きていく。

そして、
「わたしである」勇気を持つ。

この章は、そんな静かな強さを教えてくれました。

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