幸せになる勇気 | 第四部 与えよ、さらば与えられん 要約

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『幸せになる勇気』第四部「与えよ、さらば与えられん」は、
アドラー心理学の中でも“信頼と貢献”をテーマにした、心に残る章です。
僕(ウチ)はこの部分を読んで、
「与えることは強さなんだ」と改めて感じました。
優しさや信頼は、受け取るものではなく、先に差し出すもの。
そう考えると、人との関わりも少しあたたかく見えてきます。

この記事ではこの章から、

  • 喜びと対人関係のつながり
  • 信用と信頼の違い
  • 与えられたものの使い方
  • 「与える生き方」の意味

を、印象に残った言葉を交えながらやさしくまとめていきます。

すべての喜びもまた、対人関係の喜びである

アドラー心理学では、人が人生で避けて通れない三つの課題――
「仕事の関係」「交友の関係」「愛の関係」を「人生のタスク」と呼びます。
これらはすべて、他者との関係の中で生まれるもの。
だからこそ、哲人はこう言います。
「すべての喜びもまた、対人関係の喜びである」

「すべての喜びもまた、対人関係の喜びである」

この言葉を読んで、すぐに思い浮かんだのは、
“喜びを分かち合う人がいることの尊さ”でした。
どんなに成功しても、誰かに「よかったね」と言ってもらえなければ、
その喜びはどこか虚しい。

結局、人とのつながりの中にしか“幸せ”は存在しないんですよね。
僕はこの章を読んで、
「孤独の中での幸福」はやっぱり幻想なのかもしれないと感じました。

「信用」するか?「信頼」するか?

哲人は、似ているようでまったく違う「信用」と「信頼」の違いを語ります。
仕事の関係は“信用”、友人や家族の関係は“信頼”で成り立つ。
信用は条件つき、信頼は無条件。
つまり、信頼とは“先に信じること”であり、与える行為だということです。

「信用とは条件つき、信頼とは無条件」

信用は「相手が結果を出したから信じる」。
信頼は「結果がなくても信じてみる」。
その差って、すごく大きいですよね。

僕も昔は“信用されたい側”でした。
でも最近は、“信頼できる人と生きたい”と思うようになりました。
信頼って“与える勇気”なんです。
怖くても、先に心を開くこと。
それが人間関係を変えていくんだと思います。

なぜ「仕事」が、人生のタスクになるのか

アドラーは、仕事を「社会への貢献」としてとらえます。
人は一人では生きていけません。
だからこそ、働くことは“共同体の一部として役割を果たす”ことなんです。
そして、どんな仕事にも貴賤はない。
それぞれが社会の一部を支える存在だからです。

「人間の価値は、どんな仕事をしているかではなく、
その仕事にどんな態度で取り組むかによって決まる」

この言葉には、ちょっと救われました。
“何をしているか”で自分を判断してしまうこと、ありますよね。
でも大事なのは“どう向き合うか”。

僕はブログを書くとき、
「これが誰かの役に立てばいいな」と思いながら書いています。
そう考えると、仕事も生き方も少しだけ軽くなります。

大切なのは「あたえられたものをどう使うか」

人はみんな、違う環境や条件の中で生きています。
でも、アドラーは“何を持っているか”よりも、
“それをどう使うか”の方が大事だと言います。
与えられた条件を嘆くより、その中でどう生きるか。

「大切なのは何が与えられているかではなく、
与えられたものをどう使うかである」

この言葉を読んだとき、ハッとしました。
持っているものの多さより、使い方なんですよね。
僕も“自分にはないもの”ばかりを数えてしまう時期がありました。
でも、実は“いま手にしているものをどう使うか”で人生は変わる。
そう気づくだけで、少し前向きになれました。

あなたに親友は何人いるか

哲人は、人が本当に幸せになるには“親友”の存在が大切だと語ります。
それは「よく会う人」や「気が合う人」ではなく、
お互いに信頼し合える関係のこと。
数ではなく、深さでつながる関係こそ、人生を支える絆になります。

「親友とは、評価し合う関係ではなく、信じ合う関係である」

自分のまわりを思い浮かべました。
“本音で話せる人”がいるかどうか。
一人でも心から信じられる相手がいるなら、それは本当に幸せなこと。

SNSの時代だからこそ、
“数”より“深さ”を大切にしたいと思いました。

先に「信じる」こと

信頼とは、相手が信頼に値する人かどうかではなく、
自分が先に信じるかどうかで決まる。
アドラーは、信頼を「能動的な行為」として語ります。
つまり、信頼とは“与えるもの”なんです。

「たとえその人が嘘を語っていたとしても、
嘘をついてしまうその人ごと信じること」

この一節は本当に深い。
信じるって、単に“優しいこと”じゃない。
裏切られるかもしれないという怖さを受け入れながら、それでも信じる。
その姿勢に“信頼の強さ”や“信頼の難しさ”を感じました。
信じるとは、覚悟のある優しさなんだと思います。

人と人とは、永遠に分かり合えない

哲人は、人と人とは完全に理解し合うことはできないと語ります。
でもそれは悲観ではなく、むしろ希望だと言う。
分かり合えないからこそ、信じることに意味がある。
理解よりも、信頼を選ぶ――それが人間関係の本質です。

「われわれは分かり合えない存在だからこそ、信じるしかない」

この矛盾を受け入れることが、大人になるということなのかもしれません。
「わかってほしい」と思うより、「信じよう」と思えるようになる。
そう考えると、相手との距離がちょっと優しくなります。

僕は宗教するつもりは毛頭ないけれど、
仏教でも「一切皆苦(いっさいがっく)」――
つまり「人生は思い通りにならないもの」と説かれています。
でもそれは、悲観の教えではなく、
“思い通りにならない世界をどう生きるか”を考えるための出発点。

アドラーの言葉もどこか通じています。
分かり合えないからこそ、信じる。
思い通りにならないからこそ、与える。
そう思うと、人生のつまずきも少しやさしく見えてきます。

人生は「なんでもない日々」が試練となる

試練というと、転職や失恋のような大きな出来事を想像しがちですが、
アドラーは「なんでもない日々こそが試練だ」と言います。
特別な日ではなく、“毎日の選択”こそがその人の生き方をつくるのです。

「いま、ここに生きることが、最大の試練である」

これを読んで、すごく納得しました。
朝起きる、挨拶をする、仕事をこなす。
何も起きないように見える日々こそ、自分をつくる時間なんですよね。

僕は最近「今日をどう過ごすか」に目を向けるように努力しています。
特別な日より、“いつもの日”を丁寧に生きたいと思います。

与えよ、さらば与えられん

この章のタイトルであり、全体のテーマでもあります。
与えてもらうことばかり求める人は、心が貧しくなる。
与える人は、やがて与えられる。
それは「見返り」ではなく「信じる力」を差し出す生き方です。

「与えてもらうことばかり求める人は、心が貧しくなる」

与えるって、何かを“あげる”ことじゃなくて、
相手を信じること、ありがとうを伝えることなんですよね。

僕は思いました。
「ありがとう」と言われることより、
「ありがとう」と言いたい人がいることのほうが幸せだなと。
与えること、それ自体が“生きる力”になるんだと思います。

まとめ

  • 幸せはすべて人との関わりから生まれる
  • 信用ではなく信頼を選ぶ
  • 仕事は“貢献”であり、“態度”で価値が決まる
  • 与えられたものの使い方で人生は変わる
  • 信頼とは“先に信じること”
  • 分かり合えないからこそ、信じる勇気を持つ
  • 日常こそが最大の試練
  • 与える人が、最終的に幸福を受け取る
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